店舗開発担当者が社内、とりわけ運営部門、の人達と話が噛み合わないというケースは多いものです。
自分自身も、これが部門長レベルのスタッフが出席する会社の会議なのだろううか?と耳を疑いたくなるようなことが幾度かありました。
最も印象に残っているのは、ある店舗(A店とします)の周辺に新たにB店を出店したところ「カニバリがあった」という報告があり、その根拠は?と訊くと「昨日までA店にいたお客さんがB店にいた」というものがありました。
また、店の売上が不振な理由を直感的・主観的に、ある特定の一つの要因に起因させようとする人も多いものです。
なぜそういう人達が出現するのか?ということを考えている中で、非常に面白い本に出会いました。
坂口安吾『堕落論』(新潮文庫)です。タイトルの『堕落論』を含めた17篇が収録されています。だいぶ前にふと読んでみようと思い、買ってみたものの読みつけず放っておいたものが出てきて、パラパラと読み返しているとおもしろいと思いました。その中の一部をご紹介したいと思います。
“ヨーロッパ的性格、ニッポン的性格”は、次のような記述があります。
事件とか事情とかを書いたいろいろの手記、記録というものがありますけれども、残念ながらニッポン製の資料というものは役に立たないのであります。殆んど無駄であります。(中略)ニッポン人はどうも物事を大いに偏って見る傾向がありまして、たとえば烈火のごとく怒ったとか、ハッタとにらんだとか、そんな風に云ってしまって、それだけで済ませてしまうという形が多いのであります。(中略)殆んど、いや全ての者は、物事の本態を見るということを忘れているのであります。(中略)ニッポン人にとっては、毎時でも、もっと一般的な、嘘があってもかまわぬから一般的でさえあればいいという調子がお得意なのでありまして、相も変わらず、ハッタとにらんだとか、烈火の如く憤ったとかいう云い方、そういう方式、どうにでもなるというような一般的な観察で片付けてしまおうという考え方、従ってそのような手記、記録がぞくぞくと現れているのであります。むしろ、そればかりであります。
“ニッポン人”で思い当たる人はいませんか?続きは次回かその次のブログで。