前回の続きです。臨海セミナーの教室拡大の軌跡を振り返る前に、振り返る際の視点・観点のようなものを共有させていただきます。

学習塾は対象とする生徒の年齢が低くなるにつれて、個々の教室の“商圏”は狭くなります。授業料を支払うのは保護者であっても、実際に通塾するのは子供です。この授業料を支払う人と、実際に授業を受ける人が異なる点が教育サービスならではの特徴です。

小中学生を対象とする場合、商圏内に小学校や中学校がいくつかある必要があります。その結果、教室は狭い地域に密集するように展開することが多いです。また、学区域に一つの塾しかないため、同じクラスで通塾する生徒が全員同じ塾に通うということも通常は考えにくいため、狭い地域での学習塾同士の競合も激しいものとなりがちです。駅や交差点周辺に塾が乱立するのはこうした理由によります。

学習塾の多店舗化では、商圏の狭さと競合の激しさを反映して、特定の地域において教室をきめ細かく連鎖させながらカバーするような出店が求められると言えます。

ある県の外へは一切出て行かず、同じ県内で圧倒的な教室数のシェアを誇り続けている企業もあるくらいです。

以上を念頭に、”我が港南台校”開校後の2年間の変化を振り返ります。

  • 1992年(平成4年) 4月         港南台校 開校
  • 1993年(平成5年) 2月         湘南ライフタウン校 開校
  • 1993年(平成5年) 12月       戸塚西校 開校
  • 1994年(平成6年) 3月         久里浜校 開校
  • 1994年(平成6年) 4月         大学受験科金沢文庫校 開校
  • 1994年(平成6年) 9月         上永谷校・衣笠校 開校

神奈川県横浜市戸塚区・港南区といった南部地域と、横浜市外では京浜急行沿線の久里浜、衣笠などに教室が増えています。1993年は年間2校、翌年は4校と出店ペースが少し速くなっておることが分かります。

そして、大きな変化として、大学受験科が1994年には開校しています。これは(事前に高校生コースはあったと記憶していますが)対象とする生徒が高校生にまで本格的に広がり、同時に、複数の高等学校から生徒を集めるために個々の教室の商圏を広域化せざるを得なくなり、その結果、乗降客数の多い駅や広域繁華街のような立地も出店候補地に入るようになったことを意味します。

ここだけ切り取ってみると勢いのある企業のようにも映るのですが、今になってみると、このあたりからおかしな兆候が始まっていたように見えなくもありません。

続きは次回のブログで。