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商売の観点で歴史を振り返る3|司馬遼太郎著『新史太閤記』にチェーン店多店舗化を学ぶ

続きです。前回、“新たな市場が魅力的で出店が必要な市場であったとしても、既存の市場からそこまでの距離があまりにも離れている場合、両者の中間地点に店舗を配置するべきことを計画に含める必要があります”と記しました。

この中間地点の店舗をどう定義するべきか?人間と同じで店舗も新たに生まれたからには、その存在する意味を与えてやりたいものです。

そこで使える言葉が、『新史太閤記』193ページにあります。

それは“橋頭堡(キョウトウホ)”です。これは後世の戦術用語ですが、その言葉がまだ無かった時代に信長は次のように結論だけ明快にいいました。

「この墨俣に築城できぬかぎり美濃はとれない。美濃をとらねば近江路は使えず、近江路が使えなければ上洛して京に旗を樹てることができない」

デジタル大辞泉によれば、“橋頭堡”には次の意味があります。

  1. 橋のたもとに構築する陣地。
  2. 渡河や上陸作戦のとき、上陸地点に確保し、その後の作戦の足場とする拠点。
  3. 事に着手する足がかり。よりどころ。「進出の―とする支店」

清州城→美濃→近江路→京都と進む際に、清州城から美濃は遠すぎるため、清州城から北西25キロメートルの墨俣の部落が美濃を攻める足がかりとして選ばれました。
それに先立って、192ページにはこんな記述があります。

「信長はしばしば墨俣付近に遠乗りや鷹狩に出かけるようになった。」

信長や秀吉が“出店候補地の現調や市場調査”を入念に行っていたことをうかがわせるものです。

世間はゴルデンウィーク真っ只中ですが、旅行やレジャーにかこつけて“自分の知らない街”を観察し、そこでの見聞を休み明けの仕事に活かすという姿勢は見習いたいものです。

続きは次回のブログで。


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