個人的な話ですが、私はブックオフの“100円コーナー”でたまに本を買うことにしています。自分の興味は置いておき、たまたまその店に置いてある本でピンときたものを買ってすぐに読みはじめます。たった100円なので失敗してもあまり痛くありません。

そのようにして読んでいるものの中に、正岡子規の『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』があります。これは正岡子規が闘病中、なんと亡くなる直前まで日記のように書き続けた随筆127点を集めたものです。書かれている内容が多岐に亘っていておもしろく、空き時間に少しずつ読んでいたところ、この中の47番目が“社内での物件説明・プレゼンテーション”に通じる内容であるように思いましたので、ここでご紹介したいと思います。

(一部を意味を変えない範囲で書き換えて要点のみ記載します)

最近の雑誌等に掲載されている文を読んでいると、もう少し精密に書けばよいのにと思うところを、さらさらと書き流してしまったために空虚なものになるものが多いように思う。(中略)ものの性質や概念的な記事を長々と書くのは“雑報”であり、“美文”としての面白さはない。

正岡子規『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』

概念的とは“具体性にかける”という意味であるとすれば、“精密に書く”とは内容に具体性を与えることと捉えることができます。

社内での物件説明やプレゼンテーションが概念的で面白くない雑報になってしまい、経営者からなかなかGOサインが得られないようなことはありませんか?

では、物件説明やプレゼンテーションを美文にするにはどうすべきか?

次のような正岡子規のアドバイスがあります。

例えば、米国の中華レストランについて書くつもりならば、自分がその中華レストランに行った時の有様をなるべく精密に書けば、それでよいのである。

正岡子規『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』

米国のチャイナレストランを“物件”に置き換えてみてください。

現地調査のときに得た情報や自身が考えたことなどを精密に表現していくことで、同じ物件のプレゼンテーションも迫力や説得力のあるものになります。

正岡子規に同じようなことを言われないように、自分にしか書けない・話せないことを、自分の言葉で書く・話すことを心がけたいものです。