米マクドナルドが、日本マクドナルドホールディングス(HD)(証券コード:2702)の株式の一部売却を検討しているというニュースがありました。

業績悪化により不採算店を中心に年間100店舗の閉鎖が予定されており、店舗跡には競合のハンバーガーチェーンなどの出店が相次いいるそうです。

私は1999年から2000年にかけて日本マクドナルドの“高速出店”に微力ながら関わっておりました。当時のマクドナルドは、出店の重要性を十分に理解されていた創業者・藤田田(フジタ デン)氏がご健在で、年間約400店舗を新規に出店していました。

当時のマクドナルドは、日本全国を700~800のエリアに区切り、各エリアで何店舗出店できるか、出店すべき立地はどこかをくまなく調査していました。既存店の顧客サーベイを定期的に実施し、各店舗の商圏や顧客の店舗・サービスの評価を把握し、今後の施策立案を行っていました。

単一業態の全国チェーンであれだけ隈なく日本の市場をカバーしたレストラン企業はなかったと思いますし、今後も現れないように思います。

日本マクドナルド全盛期の出店を記憶にとどめる

当時の藤田田氏の言葉に、“自分がアイランドタワーの窓から10円玉を投げて、それが落ちたところに店を出せ”というものがありました。その背景には、お客さんは“マクドナルドが良い”から来るのではなく、“マクドナルドで良い”から来るので、店舗はお客さんが来やすい場所に開けるべきだとう考えがあり、それを日本全国で実際に行うことができた凄い会社だったのです。

当時を思い出しながら情報を整理していたら、いろいろと懐かしい情報が出てきました。当時を記録する意味も込めてマクドナルドの全盛時について、定期的にしばらくお話ししたいと思います。

それでは、始めにクイズです。

日本マクドナルドの1999年11月の日本国内店舗数は3227店舗でした。

では、月商ベスト3はどこの店舗だったしょう?

199911月当時のマクドナルドの売上ベスト3は以下のとおりでした。

1位 新梅田店(大阪)

2位 横浜相鉄店(神奈川)【閉店】

3位 渋谷東映プラザ店(東京)

日本マクドナルドの全盛期の記憶を綴りながら、マクドナルドが不振に陥った本質的な理由に切り込んでいきたいと思います。続きは新年のブログで。