夏の徹底現調シリーズ、今年は京都に滞在しています。今回も夏休みシリーズということで、個人的に思うことを備忘録的に書かせていただきます。

京都出身や京都在住者以外の多くの方々は、京都を、数ある“歴史のある街”、“観光地”の一部、つまり、日々の生活から開放され、歴史的な名所・旧跡を巡ったり、地元の旬の美味しいものを食べたりすることを通じて、気分転換やリフレッシュをする場所、あるいは、この休みが終わって地元に帰ったら、また仕事や勉強などを頑張ろう、といった具合に気分を高揚させる場所、とお考えになるかもしれません。

個人的な夏休みも兼ねての滞在のため、自身も同様のことを期待して京都に参ったわけですが・・・どうも気分が高揚しません。

その訳は暑いからではなく、京都に参るための移動中に『太平記』を読みながら、あることに気づいたことにありました。

それは、先日の記事で坂本龍馬暗殺の地についても触れましたが、京都は、かつて政治的な闘争の舞台となったり、戦場になったりする中で、多くの人々が無念のうちに命を落とされた場所だった、ということでした。

写真は、江戸時代の東海道の終点だった「三条大橋」ですが、この辺りも処刑や晒し首の場所だったそうです。橋からよく見えるため、見せしめに良い場所だったようです。浅く、流れがゆっくりの川も、血に染まったことがあると聞いたことがあります。他にも、かつて人が亡くなった場所はいたるところにあったのかもしれません。

関連して、入江敦彦著『京都人だけが知っている』(宝島社)という本の中に「【あの世】振り向けば怨霊がいる」という章があり、今はちょうどお盆時ですが、“京都は期間限定してられないくらい怨霊が多い”そうで、繁華街の賑わいの中で、あの世の匂いが充満している寺もあるとのことです。その章は次のように結ばれています。

いっそのこと京都の旅は、あの世巡り、疑似的な死を経験するに等しいと言っちゃってもいいような気がする。何も知らず考えず京の雅を楽しみ、イメージの表層を歩いている旅行者の足元にも、まとわりつく影がある。

京都出身の著者には到底及びませんが、京都で過ごして5日目、少し分かるような気がしました。

おどろおどろしい話になってしまいましたが、店舗開発に関連付けると、かつてその場所がどのような場所だったのか、という歴史的視点は、出店後になぜか売れない店舗の売れない原因を考える際に、最後の手段として参考にすることがあります。この点についてはまた別の機会にしたいと思います。

続きは明日のブログで。