店舗展開の観点から日本マクドナルド不振の原因に切りこむ

前回まで、「渋谷」「新宿」「池袋」というJR、私鉄、地下鉄が乗り入れる市場規模の大きい超広域商圏で、日本マクドナルドは、1999年11月にあった64店舗の約3分の2にあたる42店舗を閉店しており、新規出店分を差し引いたとしても、店舗数が28減少しているということをお話ししました。

これがどれだけ大変なことかお分かりいただけますか?

最近、当ブログと同様に、日本マクドナルドの過去を振り返るページが増えてきました(例えば「マクドナルド その10年を振り返る」)。このように、歴史を振り返り、記録することは意義深いことだと思います。しかし、そこで振り返られる対象は、主に“商品”です。そして、そこで繰り広げられている論調は、“マクドナルド不振の原因は「商品の味や価格が消費者に受け入れられなくなった」”といった具合に、商品や価格にあるとするものばかりです。

それに対して、当ブログでは、店舗展開の観点から、日本マクドナルド不振の原因に切りこんで行きます。

メーカー発想の経営者が陥りがちな落とし穴

以前、日本マクドナルド初代社長の藤田田(フジタ デン)さんの話をしました。商品、価格はもちろんですが、それ以上に“店舗”の重要性を理解されていた方です。顧客がマクドナルドに来る理由は、「マクドナルド“”いい」ではなく、「マクドナルド“”いい」からであり、手軽に行ける、つまり、立地の利便性が高い場所に店舗を置くことを優先するべきであるということを1999年当時は主張されていました。藤田田氏は、戦術のメリハリがはっきりしていたうえ、マーケティングの教科書に書いてあるような戦略要素の統合的管理を、店頭で売上を稼ぐリテーラーとして実践され、結果を残された方でした。

それに対し、藤田田社長のあとに社長になられた方々は、“リテーラー”ではなく、“メーカー”の発想でマクドナルドを経営されたとみることができます。“リテーラー”は顧客との接点を“自社で管理”しますが、メーカーは顧客との接点を“他社に管理させ”ます。その違いが、“店舗”政策の違いに表れていたように思われます。

大ざっぱに言うと、メーカーは、売れると判断した商品を製造し、それを一般消費者に周知させる努力をし、商品を流通業者に卸すことで売上を獲得します。そこでは、自社の商品と顧客との接点は流通業者任せです。一方、マクドナルドのようなメーカーと(顧客と直接的に接する)小売業の性質を兼ねる業種では、流通経路である店舗を自社で積極的に管理する必要があります。

それに対して、メーカーの発想の方が“店舗を管理する”というと、店舗のフォーマットや内装、外からの見え方といった、店舗を物理的に形作る要素を確定することと考えがちです。もちろんそれも必要なことですが、そこでは、店舗をどこに、更には、特定のエリアに何店舗立地させるべきか、という出店戦略については考慮されていません。その結果、店舗の開店・閉店に関しては、独立して判断されてしまうのです。あるいは、店舗の新規出店・退店に関する出店計画が、存在するようでいて実際には明確に定義されていなかったり、具体的な行動計画にまで落とし込まれていなかったりする状況が生じます。これは、「メーカー発想」の経営者がリテーラー経営ではまりがちな、典型的な落とし穴といえるでしょう。日本マクドナルドも、こうしたことが理由で、市場規模の大きい市場の好立地にある店舗を、恐らくキャッシュアウトが多大であるという理由で、いとも簡単に閉めてしまったものと考えられます。

好立地の店舗は、当然ながら固定的に発生する賃料や償却費用等も高いのですが、その反面、期待される売上高や広告宣伝効果も大きく、また、企業のブランドに勢いのあるイメージを与えるものです。こうした後者の側面に関する理解が無い人が会社の上層部を占めてしまうと、リテーラーはどこも、マクドナルドのような状況に陥るということです。

失った好立地を再度獲得するのは不可能に近いです。過去の店舗開発社員が苦心して獲得した立地に対する価値の分からない人々が、非常にもったいないことをした、そして、今もしている。それが今のマクドナルドです。

そういう会社は他にもありそうですが、それはまた、別の機会に。

引き続き、マクドナルド不振の原因を店舗開発の観点から掘り進めます。続きは明日のブログで。