前回に続き、“歴史に学ぶ”シリーズです。『新太閤記』主役の豊臣秀吉を含む戦国武将をチェーン企業の本部、城を店舗に例えて、起こる出来事を多店舗化の過程にダブらせて読むと、ただの小説ではなく、仕事の参考書になります。シリーズ最終回の今回は、下巻151ページです。最も印象に残ったページです。

・・・秀吉の合戦は、敵を見たとたんにもはや合戦のほとんどがおわっていた。あとは勝つだけであった。

(戦さとは、そうあらねばならぬ)そうおもっている。戦さは勝つべき態勢をつくりあげることであった。味方を殖やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標としていた。合戦のもつ投機性を減らし、奇跡を信ぜず、物理的に勝つ態勢へもりあげてゆく。

かならず勝つ、という態勢ができてからはじめて戦さをする。戦さはそれをはじめる前にすでに勝っていなければならぬ。

“投機的な戦さ”とは敵を肉眼で見てから合戦を開始する方法とのことです。秀吉以前の軍事的天才たちはそう戦っていたと、秀吉は考えていたそうです。

どちらが正しいかが問題ではないのですが、出店を客を競合企業と奪い合う“戦さ”にたとえたとき、物理的に勝つ態勢を事前に想定したうえで戦うべきか、それとも敵を確認してから戦いはじめる投機的な出店を繰り返すべきか?これは考えてみる価値がある問だと思います。

秀吉は戦さの前に攻め落とそうとする城の城下に潜伏したり、密偵を送ったりと“市場調査”や“競合店調査”を綿密に行っていたことをうかがわせる記述が随所に見られます。このあたりも最初に読んだときは気に止まらなかったのですが、今のような仕事に関わるようになってから読むと共通点があると思わされます。

皆様もぜひご自身の視点から読み返してみてください。これをもちまして太閤記のシリーズを終了させていただきます。(了)