今日は久しぶりに休みを取り、私にとって長年、不動のベストホテル甲府・常磐ホテルでのんびりしています。ランチだけでも気軽に利用できますし、芸術的な日本庭園の中にあるラウンジのコーヒーはおかわり自由です。
こういう日は、普段は目の前の仕事に追われて後回しにしていることを考える余裕があります。その一つが、これから先、私が研究してみたいことです。
結論から言うと、今いちばん気になっている問いは、
How do retail brands grow?
How do retail brands become market standards?
日本語にすれば「小売・サービスのブランドは、どのように成長し、市場の『定番』になっていくのか」という問いです。
ブランドは、なぜ「定番」になるのか
私は長年、ブランドマネジメントと店舗ビジネスの両方に関わってきました。
実務をしていると、ブランドの成長にはいくつかの段階があるように感じます。
一部の人が非常に強く支持している段階。人気が広がっていく段階。多くの人に知られる段階。そして最後には、そのカテゴリーを考えたときに「あって当然」と思われるような、定番の段階。
私は以前から、これを仮に
M:Mania P:Popular F:Famous S:Standard
として、MPFSモデルと呼んできました。
ただし、これはあくまで実務から生まれた粗いモデルです。
本当にM→P→F→Sという順番なのか。途中を飛ばすブランドはないのか。逆戻りはないのか。そもそもPopularとFamousは何が違うのか。FamousとStandardは何が違うのか。
など、モデルの精緻化はまだほとんど手つかずです。むしろ、これからきちんと疑ってみたいと思っています。
FamousとStandardは同じではない
私が特に興味を持っているのは、Standardとは何かです。
知名度が高ければStandardなのか。おそらく違います。「有名なブランド」と、「定番のブランド」は少し違う。
定番になると、そのカテゴリーの選択肢として自然に頭に浮かぶ。横綱クラスの商業施設でベスト区画に出店していても違和感がない。初めて見る店舗でも、そこで何をするのか何となく分かる。むしろ、そのブランドがありそうなロケーションに存在しないことの方に違和感を覚える。
この状態を、単なるブランド認知度や好意度だけで説明できるのか。ここは研究してみたいところです。
私はMPFSが正しいことを証明したいわけではありません。むしろ逆です。
本当にこの順番なのか。Standardという状態は存在するのか。店舗数は原因なのか、結果なのか。業種によって違うのではないか。有名になってから衰退するブランドは、どのように逆方向へ移動するのか。認知度以外のどのような要因がFamousとStandardを分けるのか。
実務で長年使ってきた直感を、いったん疑ってみたい。もし思い違いをしていた点があるならば、それも非常に面白い結果です。
『How Brands Grow』を読んだときの衝撃
この問題を考えると、どうしてもByron Sharpの『How Brands Grow』を思い出します。初版は2010年刊です。もう16年前になります。
私は発刊直後に加藤が買ってきた英語版を読み、かなり興奮しました。読み進めながら、膝を打ったり、Byron Sharp先生の隠しきれないユーモアのセンスに爆笑したり。その後、何人に「これは読んだ方がいい」と英語版を買わせたり、配ったりしたのか分からないくらいです。ずいぶん販促にも貢献したのではないかと思います。
この本の大きな魅力は、当時までマーケティングで当たり前のように語られてきたことを、実証データを使って冷静かつ痛快に検証していくところです。
ブランド成長において重要なのは、一部の熱狂的ファンだけをさらに深く囲い込むことではなく、より多くのカテゴリー購買者に買ってもらうこと、つまりpenetrationを広げることだという議論は、実務をしていて非常に納得感がありました。
さらに、mental availabilityとphysical availabilityという考え方があります。消費者の頭の中で思い出されやすいこと。そして、実際に買える、利用できる場所に存在すること。チェーンストアを考えると、このphysical availabilityがものすごく面白い。
ブランドの成長と店舗網の成長は車の両輪なのではないか
店舗型のブランドの場合、ブランド成長と店舗網の成長は切り離せません。
店舗が増える。街で見る機会が増える。認知される。利用者が増える。ブランドに対する理解が進む。新しい地域でも出店しやすくなる。さらに店舗が増える。
おそらく、ブランドが強くなったから店舗を増やせるという方向と、店舗が増えたからブランドが強くなるという方向が同時にあります。
実務では「両方ですね」で終わってしまいます。でも研究として考えるなら、
Brand growth ↔ Store network growth
という相互作用を、もう少しきちんと説明できるのではないか。ここは非常に興味があります。
しかも、単純な店舗数だけでは足りません。どれだけ店舗があるかだけでなく、どこに、どのような形で店舗網が広がっているかまで考えないと、店舗型ブランドの成長は説明できないのではないかと思っています。
一店舗で起きる「秒判断」と、ブランド全体の成長
20年以上前から、店舗デザイン・VI戦略の仕事で、私は「秒判断」という言葉をよく使っています。
お客さまは店舗の前で長時間分析をしません。一瞬見て、何の店か。自分に関係があるか。信頼できそうか。を判断し、入るか、素通りするかを決めています。
これは一店舗、一回の接触で起こる小さな現象です。
しかし、それが何度も繰り返されたらどうなるのでしょうか。
ある街で店舗を見る。別の街でも同じブランドを見る。色や形、サイン、店の雰囲気が記憶される。「あのブランドだ」と分かるようになる。利用する。さらに別の店舗でも同じブランド体験をする。
こうした小さな接触の積み重ねが、やがて市場全体のブランド認知につながると考えることもできます。
そう考えると、
一店舗での秒判断 → 複数店舗でのブランド一貫性 → 店舗網による接触機会の拡大 → 市場でのブランド成長・定番化
という一つの流れが見えてきます。
ガイドラインは作った。でも機能しない
もう一つ研究したいことがあります。
チェーン企業の店舗デザインやVIに関わっていると、「ガイドラインはあります」という会社はかなりあります。
ところが実際の店舗を見ると、
POPが増える。ポスターが増える。店舗ごとに独自ルールができる。本部の意図とは違う見え方になる。
つまり、ガイドラインは存在するが、ブランドは店舗で実装されていない。ということが起きます。
なぜこうなるのか?
これは、店舗スタッフの問題だけではありません。
本部が何を守るべきかを明確にしていない。例外を誰が判断するか決まっていない。売上施策とブランド施策が別々に店舗へ降りてくる。各部署が「正しい情報」を追加し続ける。
一つひとつは合理的でも、全体としてブランドが崩れていく。
実務的には非常によく見る現象です。
これを単なる「店舗管理の問題」ではなく、多店舗ブランドにおけるbrand implementationの問題として研究できないかと思っています。
実務家だから持っているデータ
幸い、研究材料にはあまり困らなそうです。福徳社を創業してから行ってきた独自の消費者調査や店舗調査、ローデータが大量に残っています。
最近、壊れたハードディスクから昔のデータをレスキューしたところ、自社で実施したブランド調査のローデータなども大量に出てきました。
さらに、私たちは、仕事柄、日々街を歩いて店舗を見ています。気になる店があれば写真を撮る。iPhone、Android、iPad、一眼レフ。媒体はバラバラですが、過去十数年分の店舗写真が大量にあります。
撮影日時が残っていれば、これは今から撮り直すことのできない、過去の店舗や街の記録でもあります。
これらを一度きちんと整理してみようと思っています。
もちろん、データがあるから研究になるわけではありません。大事なのは、大量のデータを持っていることではなく、そのデータによって既存研究では説明できなかった何を明らかにできるのかです。
ここで、今考えていることを少し整理すると、研究したい対象は店舗デザインそのものではありません。
私が本当に知りたいのは、多店舗展開するブランドが、どのように消費者に認知され、選ばれ、店舗網を拡大しながら、市場における定番の選択肢へ成長していくのかということです。
店舗デザインも、VIも、立地も、店舗網も、そのプロセスを構成する一部です。
仮に階層にすると、
Micro:秒判断 一回の店舗接触で何が起きるのか。
Meso:Visual Brand Implementation 異なる店舗で、どう同じブランドとして学習されるのか。
Network:Store Network Expansion ブランドとの接触機会を地理的にどう広げるのか。
Macro:MPFS / Brand Growth 市場の中で、ブランドはどう定番化するのか。
今のところ、こんな地図を描いています。
実務に戻せる研究をしたい
学術研究をするのであれば、学術的な厳密さを大切にしながら、その成果を最後は実務に戻せる研究をしたいと思っています。既存研究を理解し、概念を定義し、適切な方法で検証し、一般化できるところまで持っていく。そのうえで、実務で使えるところまで戻したい。
例えば、
ブランドが今どの成長段階にあるのか。次にどの市場へ出店すべきなのか。店舗の一貫性をどこまで守るべきなのか。成長段階に応じて、店舗戦略をどう変えるべきなのか。ブランドが「定番」になるために何が足りないのか。
こうした問いに、経験則だけではなく、研究の裏付けを持って答えられるようになれば、日本のリテール企業の戦略づくりにかなり役立つと思います。
もう一つ、研究したい理由
もう一つ、私が今後アカデミックな研究にも取り組んでみたいと思う理由があります。
それは、日本のリテールビジネスに蓄積されてきた実務の暗黙知を、消えてしまう前に残したいということです。
以前、日本には朝日新聞社の『民力』のような資料がありました。
地域ごとの人口、商業、消費、産業などについて、当時なら数千円から数万円で普通に買うことができました。私たち、チェーン企業の戦略づくりに携わる人間にとっては、非常にありがたい資料でした。
採算の問題もあったのでしょう。今では刊行されていません。
なくなってから、その価値の大きさに気づきます。
昨日のブログでその話を詳しく書きましたが、これも「そんなデータがあったことを忘れていた。懐かしい」という話に社内でなり、書き留めたものです。当事者であっても、時間が経てばどんどん忘れていきます。
そして今、もっと身近なところでも同じことが起きています。
リテールビジネスの現場で長く仕事をしてきた方々が、次々に60代を迎えています。
クライアント企業の部長クラスの方と話していても「自分たちが引退したら、このノウハウはなくなってしまう」という話をよく聞きます。これはかなり深刻な問題だと思っています。
生成AI以前の時代に、何十年も現場で試行錯誤しながら身につけられてきたベテランの知識の多くは、マニュアルにも論文にもなっていません。
なぜそのような判断をしたのか。どの数字を見て確信し、どの数字は信用しなかったのか。店舗を見た瞬間、何に違和感を覚えたのか。こうしたことをご本人に聞いても、「経験です」「なんとなく分かります」で終わってしまうことがあります。
でも、その「なんとなく」の中に、非常に多くの情報が入っています。
私は幸い、長年この業界で仕事をしてきたので、話を聞きたい人がたくさんいます。日本語でも英語でもインタビューできます。そして、実務家が専門家同士なら分かる言葉で話していることを、第三者にも理解できるように翻訳することも、比較的得意な方だと思っています。
だから、彼ら彼女らが元気なうちに話を聞いておきたい。
インタビューやケース研究、必要に応じてオーラル・ヒストリーやエスノグラフィックな方法も使いながら、暗黙知を記録する。そして単なる「昔話集」で終わらせず、複数の実務家の経験を比較し、既存研究と照らし合わせ、検証できるものはデータで検証する。その中から、次の世代が使える知識や理論を取り出したいと思っています。
研究の中心そのものではないかもしれません。しかし、研究を進める過程で、こうした実務知を記録として残していくことも、私がこれからできる仕事の一つではないかと思っています。
研究によって新しい知識をつくると同時に、失われつつある知識を残す。これも、これから研究をしてみたいと思う大きな理由です。
法律を学んだことも、あとからつながってきた
こうして研究したいことを考えていると、もう一つ、思いがけずつながってきたことがあります。
私は40代で、本業の傍ら、一橋大学法科大学院に進学しました。
法律を学んだことは、仕事にも人生にも想像以上に役立っています。そして今、研究という視点で考えると、もう一つ使えそうなものがあります。
判例です。
企業のケーススタディーには、どうしても後から作られた「きれいな物語」が混じります。成功した理由を後から整理すれば、実際よりもずっと戦略的に意思決定していたように見えることもあります。
一方、訴訟ではそうはいきません。商標、知的財産権、独占禁止法などの事件を見ると、企業Xと企業Yが、それぞれ自分に最も有利な主張を真正面からぶつけています。
何がブランド固有の特徴なのか。消費者は何を見てそのブランドだと認識するのか。どこまで似れば混同されるのか。ブランドが有名であるとはどういうことなのか。市場とはどこまでを指すのか。競争上の強さはどこから市場支配力になるのか。
実に生々しい一次資料です。
例えば、店舗外観そのものがブランドを識別するものとして争われる立体商標の事例を見ると、店舗VIや「記憶に残る店舗デザイン」の問題ともそのままつながります。
法律では「識別力」や「混同」と呼ばれている現象を、マーケティングではブランド認知や記憶、distinctive brand assetsとして研究している。
同じ現象を、二つの学問が違う角度から見ているのかもしれません。
判例や訴訟記録を、単なる法律の教材としてではなく、企業のブランド戦略や競争戦略を観察するための一次資料として使うことも、これから試してみたいと思っています。
How do retail brands become market standards?
これから10年ほどかけて考えてみたいことを、今日は雑記として書き留めました。
東京へ戻れば、きっとまたメールや作業や締切に追われます。だから、未来の自分が忘れないために、ここに残しておきます。
How do retail brands become market standards?
10年後に、今よりずっと良い答えを持っていたいと思います。