消費者行動調査から読み解く首都圏商業施設の近未来~専門店テナント企業は今後、新規出店の案件をどう判断するべきか?~(2016年3月講演録)

近年の大型商業施設開発の経緯

講演録【2】からの続き)では、なぜショッピングセンターの開発がこんなに進んでいるんだろう、という点をまとめてみましょう。

近年のSCの開発1990年代といえば、プラザ合意などが思い起こされますが、円高への推移に伴って製造業が海外に生産拠点を移したり、リストラなどが進みました。各地で開発されたショッピングセンターは、そうした国内の工場跡地に開業したものが半分以上です。土地区画整理事業や、必要なくなったスキー場などの遊興施設が入れ替わったところもありますが、大半は国内の工場跡地です。

最近開いた商業施設で確認をしてみると、もともと空いたもの、サッポロビール埼玉工場跡地に開いた「アリオ川口」や、有名なところでは、日産の村山工場跡地に開いた「イオンモールむさし村山」などがあります。「三井アウトレットパーク入間」は、HOYAがリストラの一巻で閉めた工場跡地に開き、その横にコストコもできました。新日鉄の土地の一部は「イオンモール木更津」になっています。他にも、日産車体の工場跡地に開いた「ららぽーと湘南平塚」、ラピスセミコンダクタの事業所跡地に開業予定の「イーアス高尾」など、企業の拠点跡地にどんどん開いています。工場拠点跡地に立地する首都圏SCの例近年のSC開発の前提

この辺りから、大型商業施設の方が聞いていらしたら怒られちゃうかな、という話をします。近年の大型商業施設開発の前提はこうだったのではないか、という話です。

近年のSC開発の前提1つめは、周辺に小売業としての市場ポテンシャルがあるということよりは、むしろ、大規模な敷地という出店機会があったという理由が優先されて、商業施設の開業が進んだのではないかということです。開発の前提として、“場所ありき”といいますか、大規模な土地がある、出店機会がある、商業施設にしてしまえ、といった感じのものがあったのではないかということです。

あるいは、「施設の規模を大型化することにより遠方からでも集客できる」という考え方です。

1990年代の前半ごろまでは、まだこういった大型の商業施設自体がそれほどメジャーではありませんでした。その時代は、大型商業施設という業態自体がまだ目新しく、珍しく、希少性もあり、話題性がありました。そういった時には、消費者は移動時間や交通費、ガソリン代等の買い物コストを費やし、施設をめがけて“わざわざ”来場してくれました。

その勢いに乗じて、その頃に勢いのあったテナント企業は、あちこちに開く商業施設に店舗を開けていくことによって店舗数を伸ばし、店舗網を広域に拡大したとみることができます。先ほど自治体の選定という話をしましたが、エリアの選定の前、すなわち、「全国的にみて何々市何々区の自治体というエリアに出た方が良いか?」と考える前に、「こういう出店機会があります」ということでどんどん店舗を開けていった時代だったと考えることができます。

このように、
「大規模な施設を開ける場所がありました。」
「大型商業施設を開けます。」
「大型化すれば、他のエリアからもお客さんを取れます。」
という考え方の下で、商業施設の開発が進んでいったと考えることができます。

その結果、野村総合研究所が発表している「生活者1万人アンケート調査」の「直近1年間での買い回り品購入チャネル利用経験率(全国男女15歳~69歳)」*によれば、「総合SC・モール」の利用経験者の比率は、2000年には55.0%と消費者の過半数にすぎなかったところ、2015年のデータでは82.5%と8割を超えています。それに伴って、中心市街地の百貨店の利用経験者の比率は、2000年の77.4%から2015年には62.1%にまで落ちています。ショッピングセンターは買い物をする場所として、すっかり生活の中に定着するに至ったということがわかります。*野村総合研究所「第229回NRIメディアフォーラム」資料P23ご参照

まとめると、これまでの立地選定は「大型の商業施設であれば大丈夫だ」という考え方でした。その後の商業施設開発の推移をみてみると、場所ありきの開発をしてきました。大きな土地があったからそこを商業施設にしよう、と商業施設を開けていきました。90年代以降は商業施設の大型化や地理的な拡大が広がっていき、ショッピングセンターが生活の中にすっかり定着しました。…といったことがわかります。

次に、大型商業施設を取り巻く環境変化を考えてみましょう。続きは講演録【4】で。