マクドナルド不振の理由に切り込む~なぜ、目標だった「1万店・売上高1兆円」は達成できなかったのか?~

前回の続きです。全国チェーンのマクドナルドが1999年に3000号店を達成した際に、藤田田社長は「2010年までに1万店、売上高1兆円が目標」と中長期目標を語っていました。新規出店への意欲は旺盛でした。

しかし、それは結果的に達成できませんでした。上場後に公表されるようになった投資家向けデータ等によると、2006年の「3828店」が最高だったようです。

それはなぜだったのでしょう?

マスコミやネット上では、マクドナルドの不振の理由を、マーケティングでコントロール可能な要素や、社内事情等のマクドナルド内部の要素や顧客の嗜好の変化などに求める論調が多いようですが、当ブログでは別の観点から考えてみたいと思います。

1万店を目指していたマクドナルドが、それを達成できなかった理由を考えるには、2000年以降に起こったことについて考える必要があります。

急に顧客の嗜好が変わったとは考えにくいですし、2004年に社長が交代したものの、その後2年は新規出店をしていた訳ですから、マクドナルドの新規出店にブレーキをかける何か別の事情があったと考えるのは意義のあることです。

出店意欲のある企業の新規出店にブレーキがかかる理由は何でしょうか?2000年当時にマクドナルドが行っていたことにヒントがあります。それが何で、その原因は何だったのでしょう?

店舗数の上積みを阻んだ重大な“環境変化”

企業が方針や行動を変更する理由、変更せざるを得ない理由は“環境変化”にあります。環境の中でもとりわけ“競争”環境の変化です。

マクドナルドの競争環境は2つの観点で考える必要があります。“商品”と“出店”に関するものです。両者は独立してものではなく、密接に関連していると捉えることができます。

2000年より前までは、一等地に店舗を開けて、ハンバーガーをQSC-V(品質、クイック・サービス、クレンリネス、それらが結びついた価値)とともに販売することを愚直にやっていたのが当時のマクドナルドでした。

マクドナルドは、全国の市場を細かくエリアに分け、同じ方法でエリア分析を行い、そこでの出店方針を決定し、同一の屋号で全国に隅々まで店舗網を拡大できた唯一の全国チェーン外食企業でした。

しかし、更に店舗数の上積みを狙った1999年当時に議論されていたことを振り返ると、1990年代後半とは異なる“環境変化”が市場に起きていたと言えます。

新たな競合商品の台頭~“手軽な外食”の新たな選択肢~

“商品”レベルの競争環境としては、マクドナルドが店舗数を増やした上でハンバーガーの価格を大幅に下げることによって、ハンバーガー業界の競合企業は大きな打撃を受けました。しかし、それと同時に新たな競争相手が意識され始めました。

マクドナルドの既存店の商圏内に急速に店舗数を拡大し、ハンバーガー以外の商品を安価で提供しだしたものとは何でしょうか?

それは、今でこそ当たり前の存在になりましたが、“コンビニの100円おにぎり”でした。

当時、マクドナルドは、新規出店する店舗の売上を予測するモデルを頻繁にリバイスしていました。また、既存店の顧客が競合他社のどの店舗を利用しているかも定期的に調査していました。その一端を私も担当させていただいておりましたが、そうした調査結果から、ハンバーガーを販売する企業以外の競合の出現が把握できました。

2000年以降の時代は、ハンバーガー以外でも同じような価格で食べることができるものが出現し、消費者にとってのそれらの利用機会が増えた時代と捉えることができます。手軽な外食の際の消費者の選択肢が増えていった時代と言い換えることもできます。

その延長上に現在があると考えると、「消費者がハンバーガーに飽きた」という論調には疑問を持たざるを得ません。

続きは次回のブログで。